四国八十八ヶ所霊場歩き遍路・涅槃の道場香川県(讃岐)


平賀源内旧邸前から石鎚山
奉献灯篭前を進み、志度寺の
奥の院地蔵寺へ向かいます。

地蔵寺は、志度寺を建立した
凡園子(おおしそのこ)尼により
飛鳥時代に創建されたとされて
います。

地蔵寺から約1km程進むと、
志度寺に着きます。


坂道を登って
いくと加持水が
あります。

干ばつで各地の
池や井戸水が枯
れても、この湧水は絶えることが
ないようです。
石碑に刻まれた字は、、弘法大師の
筆跡だと伝えられています。


2012年2月26日(日)
7:35 琴平電鉄瓦町駅


近くのパーキングに車を
駐車し、琴平電鉄の
瓦町駅前からスタート
しました。

まずは国道11号線を
屋島寺方面へ進んで
行きます。


教経の強弓に倒れた佐藤
継信の首をとりに行くも、
継信の弟・忠信に射倒さ
れた菊王丸の墓です。


一ノ谷の合戦で大敗を喫し屋島に逃げた平宗盛が
軍司に命じて造営した幼帝・安徳天皇の行宮跡です。

屋島寺への道標前を反対に右へ進んで行くと、
菊王丸の墓があります。

八十五番霊場八栗寺へ


坂道を下って行
くと、佐藤継信の
墓があります。

義経の身代わり
となり息を引き取
った継信は、もとは
藤原秀衡の家来で奥州時代からの
忠実な従者であったようです。

鐘楼


東大門を出て右に
進んでいくと、瑠璃宝
の池(血の池)があり
ます。


屋島の説明板の前を
進むと、源平合戦史跡
の説明板があります。

右の経幢の説明板


天平11年(739)行基が当地で霊感を得て聖観音菩薩像を刻み、堂宇に安置した
のが始まりとされる
弘法大師が渡唐前、当地に滞在し、年頭7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に
投げ与えたとの伝説があり、これは毎年1月7日の「福奪い」として今に伝わってい
ます。天長2年(825)、唐より帰朝した弘法大師によって霊場と定められました。
その後幾度かの兵火により堂宇は失われましたが、その都度歴代藩主によって
再建されています。

高地蔵

護摩堂

琴平電鉄 長尾駅

ここから右に進むと琴平電鉄長尾駅です

14:45 八十七番霊場長尾寺 山門


京都中井氏の道標説明板の
前から住吉神社の前を進み
ます。


住吉神社からまっすぐ進んで
行くと、八十七番霊場長尾寺の
山門が見えてきます。

へんろばしを渡り長尾寺へと進んで行きます。
橋を渡った所に京都中井氏の道標説明板があります。

八十七番霊場長尾寺へ

八十七番奥の院

曼荼羅霊場巡拝記念

八十七番奥の院玉泉寺 本堂

玉泉寺

八十七番奥の院

県道を進みJR高徳の踏切を渡ります

普門院前を進み左へ

長尾寺まで4㎞ 一旦県道を横断

オレンシタウン゙駅前を進みます

高松自動車道の下を進みます

閻魔堂

この先を左へ進みます

山門を出ます


志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ
持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたと
いう。創建は推古天皇33年(626年)のころとされている。天武天皇10年(681年)
には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。
不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、持統天皇
7年(693年)には不比等の子藤原房前が行基とともに堂宇を建立されました。

鐘楼と五重塔

八十六番霊場志度寺 山門

八十六番霊場志度寺


地蔵寺の説明板が
あります。


平賀源内の説明板が
あります。
旧邸から進むと平賀
源内像があります。

平賀源内先生の
旧邸の説明板

石鎚山奉献灯篭前を進みます

平賀源内旧邸

八十六番霊場志度寺へ

用心堀と石灯篭の
説明板があります


しばらく進むと、
大きな石灯篭が
見えてきます。


すぐ近くには、
平賀源内の
旧家があり
ます。

八十六番霊場
志度寺へ

休憩所

道の駅源平の里むれ

琴平電鉄の踏み切りを渡ります

庵札西国第二十七番

北三昧地蔵堂

役戸神社前を進みます

八十六番霊場志度寺へ

石仏前を左へ

まーさん(山本)

八十五番霊場八栗寺

八十六番志度寺へ

八十五番霊場八栗寺本坊

多宝塔

八十五番霊場八栗寺 本堂

八十五番霊場八栗寺 大師堂

11:00 八十五番霊場八栗寺 山門

八十五番霊場八栗寺

うどん 山田家前を進み左へ

ケーブル乗り場横から参道へ

若宮神社前を進みます

八十五番霊場八栗寺へ

八十五番霊場八栗寺へ

八十五番霊場八栗寺へ

八十五番霊場八栗寺へ

洲崎寺から左  八十五番霊場八栗寺へ

洲崎寺 壁面に源平合戦の様子が描かれています

洲崎寺 本堂

10:20 番外霊場 洲崎寺

むれ源平石あかりロード

洲崎寺方面へ

向辻地蔵堂

菊王丸の墓

屋島寺方面への道標

八十五番霊場八栗寺へ

安徳天皇社

佐藤継信の墓


屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられます、鑑真
和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や
難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大
寺に船で向かう途中、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の
北嶺に登り、普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納め
て創建されたと言われています。


山道を下りきった
所に休憩所があり
ます。

この辺りから源平
合戦ゆかりの史跡
が沢山あります。

ドライブウェーを横断します

急な坂道を下ります

ここから山道を下ります


源平屋島合戦史跡の
説明板があります。

ここから見える所が
源平合戦の地です。

八十五番霊場八栗寺方面の眺望

瑠璃宝の池

八十四番霊場屋島寺 大師堂

八十四番霊場屋島寺 本堂

千躰堂

四天門

三躰堂

養山明神

9:00 八十四番霊場屋島寺 山門

坂道を登っていきます


坂道を登っていくと
不喰梨の説明板が
あります。

八十四番霊場屋島寺へ

加持水

坂道を登っていきます

琴平電鉄の踏み切りを渡ります

新川から屋島寺方面の眺望

新川を渡ります

春日川を渡ります

JR予讃線国分駅~琴平電鉄瓦町駅

御坊川を渡ります

国道11号線を進みます


国道11号線をしばらく進んで行き
ます。 ことでん松島二丁目駅前

平賀源内像


琴平電鉄の踏み切りを2つ横断し
国道11号線を右へ進んで行きます。


瓦町駅前から県道160号線を左に
進んで行きます。


15:13 琴平電鉄の長尾駅に到着しました。
今回はここまでといたしました。

15:27 高松築港行きの普通電車に乗車して、瓦町に戻りました。

薬師堂

山門から右へ進みます


新四国の道へんろ道の
案内板があります。
ここから左の旧道へ。


奥の院地蔵寺からまっすぐ
進んでいくと志度寺の山門が
見えてきます。

地蔵寺 地蔵堂

地蔵寺 鐘楼と本堂

八十六番霊場志度寺へ

不動明王前を下って行きます

八十六番霊場志度寺へ

お地蔵さんと石仏

八十五番霊場八栗寺へ参道を登ります

お地蔵さんと石仏

真念法師の墓

八十五番霊場八栗寺へ

東大門

遍照院前を進みます

涅槃の道場香川⑤ 「琴平電鉄瓦町駅~琴平電鉄長尾駅」 <2012.2.26>


大同年間(806~)
弘法大師により
創建。承和九年、
智証大師が当寺
に於いて、密法
修行の際、不動
明王を刻んで安置。
源平合戦時、義経の
身代わりとなり討死した佐藤継信の菩提寺
になっています。境内には、四国霊場大先達
と呼ばれる真念法師の墓もあります。


史跡 
天然記念物屋島

*小さい写真はクリックすると大きくなります

八十七番霊場長尾寺 本堂

薬師堂

石鎚山奉献
灯篭の説明板


五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができた
ので、もともと八国寺という寺名であったが、延暦年中、大師は唐へ留学する
前に再度この山に登り、仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の
焼き栗を植えたと言われている。無事帰国し、再び訪れる、芽の出るはずない
焼き栗が芽吹いていたそうで、このことから八国寺を八栗寺へ改名した由来の
ようです。


ケーブル乗り場横から
参道を登っていきます。

途中にお地蔵さんや
石仏が沢山あります。

参道を登り切った所に
お迎え大師像があり
ます。
ここから屋島寺方面が
見渡せます。


国道11号線から左へ進みます

ことでん潟元駅前を進みます

八十四番霊場屋島寺へ

八十六番霊場志度寺 大師堂

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琴平電鉄長尾駅前~八十八番霊場大窪寺~黒川温泉

3:27発高松築港行き普通電車に乗車


結願のみちの説明板があります。
次回はここまでバスに乗車してきます。


住吉神社


中井氏の道標の
説明板があります。

休憩所

旧道へと進んで行きます

遠くに女体山方面が見えます

当願堂前から旧道に入ります

奪衣婆堂

志度寺奥の院地蔵寺

八十六番霊場
志度寺へ

鐘楼

石段を登ると山門が見えてきます

お迎え大師

開明学校跡


義経の弓流しの
説明板があります。

7:35 琴平電鉄瓦町駅

八十七番霊場長尾寺 大師堂


県道を横断して八十七番霊場
長尾寺の奥の院玉泉寺へ

八十六番霊場志度寺 本堂

琴平電鉄の踏み切りを渡ります

坂道途中の休憩所

舗装路に出ます

八十五番霊場八栗寺へ

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