天野街道の分岐から進むと
おわり坂があります。
江戸時代後期に狭山池
改修で働いた土木技師
集団の「尾張衆」が坂の
名前になったようです。
坂道を下りきって歩道橋を
渡ると牛瀧地蔵尊があります。
西高野街道の道標に沿って泉北高速鉄道のガードをくぐり進んで行くと、
旧家が多く見られる関茶屋の町並みに入ります。
大道筋との交差点
南側に、紀州街道
の道票があります。
阪堺電車が通る
この通りが紀州
街道です。
茱萸木之町並みを進んで行くと高野山女人堂
十里石があります。
まっすぐ進んで行き、
天野橋を渡ります。
天野橋を渡り左に
進んで行きます。
高野女人堂十二里石
竹内街道との分岐です。
ここの分岐を左に進むと
竹内街道です。
西高野街道はまっすぐ
進みます。
ここから歩道橋までは
熊野街道の一部になって
います。
竹内街道との分岐の手前に
十三里石があります。
その横には太子講地蔵堂が
あります。
高野山女人堂江十三里と刻まれ
ています。
ここから高野山女人堂まで十三里
約52kmあるということです。
この先西高野街道から高野街道
にかけて、一里石までのすべてが
現存しています。
今回は、南海電車堺駅前から
西高野街道へと進みました。
市役所前の信号を
右に曲がると、歩道
橋の下に履中・仁徳・
反正天皇陵御陵道の
道標があります。
この先を左ななめに
進みます。
道標
白鳳山松林寺は、
真言律宗の名刹です。
この寺は、17世紀に
廃寺となっていましたが、
上岩瀬出身の僧秀栄が
宝永7年(1710)にお堂を
建立したようです。
坂道を登りきった所に、三津屋地蔵尊があります
岩室郵便局跡、室塾跡の碑の先の
分岐点に古い道票があります。
「左 かうや山 十里 右 あまの山
二里」と刻まれています。
ここが天野街道との分岐です。
西高野街道はこの先大阪狭山市へと
進みます。
堺市が設置した西高野街道の新しい
道標もここから先にはありません。
この先は道標がない為、やや道が
わかりずらくなります。
筒井家住宅の大楠
西高野街道の道標に沿って進んで行きます。
しばらく進むと右側に筒井家住宅があります。
ここには、樹齢800〜1000年の大楠があり,樹高は約13m、
幹回り10.1mの大木です。
この横には、御廟表塚古墳があります。
竹内街道との分岐
大小路筋と大道筋の交差点北側に
晴明辻があります。
阿倍晴明が信太村
からやってきて、この
辻を通った時に占い
書きを埋めたそうで、
ここで占いをすると
必ず当たるという
伝承があります。
堺駅の東口を出て大小路筋を東に進みます。
大小路筋の南側堺警察署の前に大城路の起点の碑が建っています。
ここが西高野街道の起点という説もあります。
おわり坂
公園の左横を進んで行きます
大小路親柱
市役所前の電話ボックス
紀州街道
晴明辻
堺駅前の案内板
福田の交差点から国道
310号線を横断し、西高野
街道を進んで行きます。
牛瀧地蔵尊
大平大明神
西高野街道の道標に沿って進みます この辺りもお地蔵さんがたくさんあります
その先の歩道橋を渡った
所に大小路親柱があり
ます。
歩道橋の下で見にくい
所にあります。
ここが西高野街道の
起点という説もある
ようです。
天野街道分岐
南海電車本線堺駅
十三里石
岩室の交差点手前に、
高野山女人堂十一里
石があります。
玄昌法師地蔵尊
ここを左に曲がると茱萸木大師堂があります
三津屋地蔵尊
永原貞次郎翁像の前を
み岩室の交差点へと進
みます。
岩村歩道橋を渡り府動を
越えうなぎ処神吉の横を
進んで行きます。
福田の交差点
推妙寺
白鷺公園
左の旧道へ
御廟表塚古墳
筒井家住宅から西高野街道の道標に沿って進み一旦国道に出て府立大学前を進みます
ここから堺市の西高野街道の道標が設置されています。
歩道橋を渡りまっすぐ進んで行きます。歩道橋緒を渡り右に進むと熊野街道です。
知恵地蔵尊
しばらく進むと大通庵跡があります