大和川手前に古い道標があります。
左 いせ 右 ならと書かれています。
この先の大和川沿いを左に曲がると
仏教伝来地の碑があります。
平等寺を出て左に進んで金屋の石仏に向かいます。
海柘榴市観音堂は、文亀三年
(1502年)石造観音像・元亀二年
(1571年)の石造の観音像が安置
されている、お堂周辺は、古代より
栄えた交易市の跡で「源氏物語」
「枕草子」にも登場します
◆桧原神社
神殿も拝殿も無いのに、「三ツ鳥居」だけが建っている
「桧原神社」ですが、元は皇居に祀られていた天照大御神
の神霊を紀元前50年頃、第10代崇神天皇が娘の皇女
豊鍬入姫命(とよすきいりひめノみこと)を最初の斎宮
(いつきノみや)にして託しまつり、倭笠縫邑(やまとノきぬ
がさむら)と云われていた所に遷(うつ)し祀ったのが起源
のようです。
◆大兵主神社
三輪山が間近に迫る場所に鎮座する
この神社、同じ造りの本殿が3つ並ん
でいて右から若御魂神社、兵主神社、
大兵主神社と呼ばれ、正確には式内社
三社が同一敷地内に鎮座している三座
一社殿と呼ばれる造りです。
石上神宮に入ってすぐ左に柿本人麻呂の歌碑
金屋の石仏から海柘榴市へと
進みます。
海柘榴市の説明板の所を左に
曲がると海柘榴市観音があります。
JR・近鉄 天理駅前
交差点を右へ
内山永久寺跡へ
竹之内環濠集落
萱生環濠集落
萱生環濠集落へと進んで行くと、柿本人麻呂の歌碑があります。
狭井神社から隣の大神神社へ進んで行きます。
◆大神神社
神代の昔、大己貴神(おおなむちのみこと)が自らの魂を
三輪山に鎮められ、大物主神の名で祀られたのが大神神社の
創始であるという。
大神神社は日本最古の神社の一つ
としてよく知られており、現在でも、
本殿が置かれておらず、拝殿から
ご神体である三輪山を拝するという
原始形態の神祀りの様式をとっている。
◆平等寺
千古の歴史を秘める平等寺は、
その開基を聖徳太子と伝え、
永遠の平和を祈願する霊場
(大三輪寺)として創建されま
した。鎌倉時代の初期、中興
の祖、慶円上人(三輪上人
1140〜1223)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの
境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、
鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、
由緒ある名刹でありました。
◆「夜都伎神社」
続に「春日神社」とも呼ばれ、奈良の
春日大社と同じ四神を
祀っています。天理市の乙木には元々
「夜都伎神社」と
「春日神社」の2社が在ったけど、
「夜都伎神社」の社地を
竹之内の三間塚池と交換して、
春日神社1社にし、社名のみを
変えて残し、「夜都伎(やとぎ)
神社」となったようです。
◆相撲神社
大兵主神社神域内の小字カタヤケシと呼ばれる場所で、
参道脇の広場が相撲神社の境内になっている。境内の
入口に小さな鳥居があり、その奥の広場中央に4本の
細い桜の木に囲まれた空間がある。その空間が土俵で
あり、4本の桜は土俵の4隅の柱のつもりだろう。広場の
左手奥には、今にも崩れそうな小さい祠が雑木で囲われて
ポツンと建っている。野見宿禰(のみのすくね)を祀る社である。
狭井神社へと進んで行きます。
歴史街道の道標の所に戻り
左に曲がって行きます。
途中、柿本人麻呂の歌碑が
たくさんあります。
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山の辺の道は、奈良市の春日山麓から天理市の
石上神宮を経て、桜井市の金屋付近まで三十キロ
近い道のりがあります。
いまも観光客が数多く訪れるのは天理から桜井までの
南ルートで、道路がよく整備され、わかりやすい道標が
立てられています。
歴史街道の道標に戻ります。
途中展望台からの景色は古代
の様子がうかがえます。
東海自然歩道トレイルセンターから崇神天皇陵へと進みます。
さらにその先に景行天皇陵があります。
崇神天皇陵:大和王朝の創始者とされる第10代崇神天皇の陵墓。
景行天皇陵:景行天皇は崇神天皇孫垂仁天皇の皇子で、ヤマト
タケルノミコトの父にあたるという。
皇后白香皇女(たしらかのひめみこ)の墓とされる
衾田(ふすま)陵は、北部の古墳群の中でも最大級の
古墳と言われています。
石上神宮
石上神宮拝殿
内山永久寺跡
天理観光農園
元の道に戻り、萱生環濠集落へと進みます
萱生環濠集落へ
波多子塚古墳
この先の農道を左へ
「神山の 山邊真蘇木綿
みじか木綿 かくのみ故に 長しと思ひき」
大神神社拝殿横から平等寺へと進んで行きます。
神社を出て左に進んで行きます。
桧原神社に進んで行きます。
歴史街道の道標の所を桜井方向に
曲がらずにまっすぐ進みます。
しばらく進むと右側に纒向・日代宮跡
(マキムクヒシロミヤアト)があります。
さらに坂道を登って行くと相撲神社が
あります。
恵比須神社の先を
右に曲がります。
「ねはたまの 夜さり来
れば巻向の 川音高
しも あらしかも疾き」
舗装道路から右に曲がりミカン畑の横を
土道へと進んで行くと檜原神社に着きます。
途中左側に、高市皇子の歌碑があります。
萱生環濠集落の前には西山塚古墳があります。
集落を抜けると、五社神社があります。
その前を衾田陵へと進みます。
◆狭井神社
薬の神、病気平癒の神、荒魂を祀る。
本社の荒魂をおまつりしている、延喜式神名帳に
記される古社であります。
古くより、華鎮社(はなしづめのやしろ)と称され、病気を
鎮める神としての信仰が厚く、ご神水の湧き出る薬井戸が
あります。
「あしびき野 山川の
瀬乃 響るなべに 弓
月が嶽に 雲立ち渡る」
「巻向の 山邊響みて
行く水の みなわの
如し 世のほと吾は」
相撲神社からさらに奥に進むと
穴師坐兵主神社があります。
「あしびき野 山川の瀬乃
響るなべに 弓月が嶽に
雲立ち渡る」
長い商店街を抜けると天理教の本部があります。
この辺りはどこを見ても天理教の施設です。
天理教の本部の
前をまっすぐに
進んで行きます。
天理教本部
古い道標が
あります。
右 石上神宮?
案内板の所を左へ
恵比須神社