高野山の案内板があります。
その前から
金剛峯寺へと向かいました。


高野七口の一つ、不動口に現存する唯一の女人堂。かつて七口
すべてにあった女人堂は高野山が女人禁制だったころに、女性が
真言をひと晩中唱えていた場所です。

高野山上をしばらく散策して不動坂を下り極楽橋に戻りました。


ここを左に進むと女人堂です

ここを右に曲がります

極楽橋へと下って行きます

殉難七士の墓


小さな道標が途中に
あります。


文久2年(1862)に、
赤穂藩森家の家老、
森主税と村上真輔が、
尊王攘夷をさけぶ一派
によって殺される。その後、高野町
神谷の地で、村上兄弟は、念願の
仇討ちを果たすことができたようです。

旧宿場町へ


一旦集落を抜けた
所で、左の道へ
進みます。

お地蔵さんが並んでいる前を進んで行きます  しばらく進むと幡天神社があります


九度山の慈尊院からは、町石道が
高野山上の壇上伽藍へと続きます。
180の町石が残っています。


歴史街道の道標が
あります。


かむろ大師は弘法大師を本尊
としており、「学文路(かむろ)の
お大師さん」として親しまれて
います。

高野山女人堂三里石


学文路大師の境内にかむろ
地蔵尊があります。

学文路大師の向かいの民家の
玄関前に高野山女人堂
三里石があります。

ここから学問文天満宮へ

学文路天満宮拝殿


学問の神様・菅原道真公を
祀る「学文路天満宮」は、
受験シーズンになると入学
祈願にたくさんの参拝者が
訪れます

階段を上り学文路天満宮へ


国道370号線から左に曲り学文路天文宮に立ち寄りました。

南海電車の踏切を渡ります

ここを左 学文路天満宮へ

清水不動寺からしばらく進むと成就寺があります

西行庵

しばらく進むと西行庵があります

三軒茶屋常夜灯

しばらく進むと常夜灯があります

蓮華定院

交通安全地蔵尊

女人堂

極楽橋を渡ります

左に進みます


森林の中を進んで行くと、神谷の集落の
入口に高野山女人堂一里石があります。


いくつかの道標が
ありますが、一里石は
傾いて建っています。


横の道標には、右・
京 大坂道と刻まれて
います。

桜茶屋の集落



しばらく坂道を登って行くと、作水の集落に
高野街道第五地蔵尊があります。

常夜灯の前を登って行きます。
この辺りは急な坂道が続きます。



千石橋を渡り右に進みます。
いよいよ高野山への急な
登り坂が続きます。


千石橋の手前に八坂神社があります。
その横に、高野山女人堂二里石が
あります。

地蔵尊の前を千石橋へと進みます


河根丹生神社、日輪寺を出て左に進み坂道を
下ります。この辺りは古い宿場町の面影が残って
います。

千石橋

元本陣中屋旅館


坂道を上ったすぐの
所に、日輪寺と河根
丹生神社があります。

道標の所を左に進みます

ここから左の道へ進みます

ここを左に進み坂道を下って行きます

左に曲がると河根丹生神社です

ここを左へ進んでも河根丹生神社へ行けます

高野街道第四地蔵尊


河根の集落を進んで行くと常夜灯があります。
さらに進んで行くと弘法清水(硯水)があります。

弘法清水(硯水)

河根の集落を進むと第三地蔵尊があります

高野街道に戻り坂道を登って行きます

幡天神社


幡天神社から進んで行くと分岐があります。
路面に高野街道の道標があります。

坂道を登って行くと玉屋宿跡があります


玉屋宿跡からすぐの所を左に曲がると萱堂が
あります。

町石道のHPへ


左・高野みち 女人堂迄
三里  右・慈尊院みち
是より一里。

国道370号線を横断します


道票に沿って進んで
行きます。

学文路大師

かむろ地蔵尊

学文路大師

しばらく国道を進みここを左に曲がります

ここを右に曲がり学文路大師へ

鐘楼の前から国道37号線まで戻ります


境内の前に千度石が
あります。

高野街道六地蔵 第二地蔵尊

学文路天満宮の鳥居
国道370号線に合流


成就寺を出て進んで行くと、学問路天満宮の鳥居があります。
その先の国道合流地点に高野山六地蔵第二地蔵尊があります。

船越紀喜右衛門の碑

地蔵尊と常夜灯があります

清水の町並みを進みます

壇上伽藍

南海電車高野線 極楽橋駅

高野街道六地蔵 第一の地蔵尊


平安時代末期の僧侶、
歌人の西行が高野山に
向かう途中に滞在した
との言い伝えがあるよう
です。奥には高野街道の
第一地蔵尊が祀られて
います。

女人堂前のお竹地蔵尊

右の道を進みます

しばらく紀ノ川沿いを進みます

国道24号線を左に曲り橋本橋を渡ります

橋本橋を渡り右に進みます

国道24号線を右に進みます


駅前の案内板の前から、国道24号線
へと進んで行きます。


境内に船越紀喜右衛門の
碑があります。

ここから進んで行きます

河根丹生神社

坂道を下った所の合流点をまっすぐ進みます

下り坂途中に六地蔵尊があります


江戸時代の後半に
高野参詣の旅人の
安全を祈願して
建立されたようです。

街道沿いに第一から
第六の地蔵尊があります。

高野街道


金剛峯寺の名称はもとは高野山一山の
総称で、ここは青巌寺とよばれていました。

1593年(文禄2)、豊臣秀吉が亡母の菩提寺
として建立、1863年(文久3)に再建された。
明治になり寺号を金剛峯寺と改め、総本山が
置かれた。檜皮葺の大屋根をもち、東西54m、
南北63mの大主殿をはじめ、別殿、新別殿、
奥殿、新書院、経蔵、鐘楼、護摩堂などが
あります。

全国3600カ寺に及ぶ高野山真言宗の総本山です。


14:30 女人堂到着

堺市からの西高野街道、
八幡市からの東高野街道、
守口市からの中高野街道、
四天王寺からの下高野街道の
最終地点にゴールいたしました。

急な坂道を登って行きます

高野街道第三地蔵尊

高野街道 「南海電車高野線橋本駅〜高野山女人堂」 <2009.11.07> 


父苅萱道心[かるかやどうしん]と母千里[ちさと]姫、その子石童丸の
親子の悲劇の物語を絵で紹介する堂で、中にある厄除親子地蔵尊は、
道心と石童丸の合作の地蔵と伝えられる。


浄瑠璃で知られる石童丸[いしどうまる]物語ゆかりの寺。
石童丸が高野山に父を捜しに行っている間に母千里姫
[ちさとひめ]が没し、ここが菩提寺となった


国道370号線をを横断し南海電車
高野線の踏切を渡ります。

ここから上り坂になります。

ここから高野山を目指します

南院


神谷の集落に、
御成婚記念道里標が
あります。

昭和天皇の御成婚を
記念して建てられた
ものです。

高野山女人堂 壱里四町二〇間、
四四〇〇メートル。

八坂神社

ここを左に曲がると萱堂


高野の仇討で討たれた
七名の武士たちの墓が
祀られています。

*小さい写真はクリックすると大きくなります


200年12月7日(土) 8:15

今回は南海電車橋本駅から
スタートしました。





神谷の集落に
道票があります。


至高野山
四二〇〇メートル
一里二町三十間

高野街道第五地蔵尊

コース地図  大阪府歴史街道ウォーキングマップ 学文路〜高野山

学文路郵便局


西行庵から清水の町並みを進んで行くと
清水不動寺があります。

コース地図  大阪府歴史街道ウォーキングマップ 橋本〜学文路

国道370号線手前に道標があります

南海電車高野線

壇上伽藍へ

高野街道に戻り坂道を登って行きます


賢堂三軒茶屋に渡し場を
示す宝暦2年(1752)の
常夜灯が2基残ってい
ます。

金剛峯寺

清不動堂

不動坂

金剛峯寺

西光寺   苅萱堂

南院

ケーブル横の登り坂

ここから不動坂を登ります

右に曲がると殉難七士の墓があります


第四地蔵尊前から急坂を下って来る道が
本来の高野街道で、河根丹生神社前に
出ます。かなりの近道になります。


坂道を下った所に
高野街道第四地蔵尊があります。この前の
道を下っても河根丹生神社へ行けますが、
今回は地蔵尊からまっすぐ進みました。

成就寺本堂

西室院

金輪塔


ここから、金剛峯寺、壇上伽藍、
大門へと向かいました

神谷の集落


大門から金剛峯寺の前を通り
女人堂に戻りました。
ケーブルを使用して下山できますが、
登ってきた不動坂を下って南海電車
極楽橋駅へと向かいました。


16:05 南海電車高野線極楽橋駅到着
特急の座席は満席でしたが、特急券のキャンセル分が
出たので購入。

16:30発の特急電車こうやに乗車し難波へ戻りました。

根本大塔

御成婚記念道理標

大門

壇上伽藍へ

福智院

不動坂の終わり近くに石仏があります

しばらく進むと極楽橋に到着します


地蔵尊横に古い道標があります。
高野山女人堂まで三里となっています。

御成婚記念道里標

高野街道第六地蔵尊

黒岩と高野の仇討場


さらに坂道を登ると桜茶屋の集落に
高野街道第六地蔵尊があります。
高野街道六地蔵尊の最後の地蔵尊です。

櫻茶屋の集落を
抜けて坂道を
登ると黒岩が見え
てきます。

ここが日本最後の
高野の仇討場の
ようです。

南海電車高野線、JR和歌山線橋本駅

河根丹生神社拝殿

日輪寺

金剛峯寺本堂



石仏の所からしばらく登ると不動坂の
最終地点です。
ここにも不動坂の案内板があります。



途中に高野山への
道票がいくつかあり
ます。


しばらく登って行くと
清不動があります。


神谷の集落

特急こうや

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坂道を下った所に、元本陣中屋旅館があります。
立派な総けやきの門が残っています。
近くには塩竃の説明板があります。


至高野山
二〇〇〇メートル
一八町二〇間


至高野山
一四〇〇メートル
一二町五〇間

高野山町石道



ここからいよいよ
不動坂の登りです。

近世の表街道不動坂の説
明板があります。


高野山ケーブルの横を登って行きます。


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